こんばんは〜😃
今日も同居人たちがリビングでパーティーをして大盛り上がりです(笑)
私はというと、部屋で気配を消してマック食べてます😇(内向的な人間って生きづらい(笑))
今日は朝パン(具なし)を3つ食べて学校に行って昼抜きで3時半までぶっ通しで練習だったので、ハンバーガー(小さいけど)3つとサラダです😂酷い😂😂
そもそもスペイン語が相変わらず出来ないので、パーティーに加わるのは難しいです。
早くスペイン語がある程度出来るようになりたいのですが、なかなかスペイン語の本を開くことが出来ません😇←1ページも見てない人
今日も特に何の出来事も起こっていないので、雑談記事にしようかな!と思います(`・ω・´)
(スペイン留学についての記事もネタが思いついたらまた書きたいのですが、まだ考え中です😅
こんな記事書いてほしい!などありましたら、よければコメントで教えてください✨)
テーマはタイトルの通り✨少し過去の話をします。
私はもともと文系女子だったと思います。
小さい頃から文章を書くのが好きで、特技は詩を書くことでした!
私は人と話すときに、自分が言いたいことを言葉にするのに時間がかかるタイプです。そもそも相手の言っている言葉が聞き取れなかったり、瞬時に言葉の意図がわからなかったりすることが多いです。(今でも!)
相手が話していることが聞き取れなかった時は適当に「うん!」と相槌を打ってしまうことが多く、それで相手に不愉快な思いをさせてしまうこともしばしば。私は会話が苦手です。
しかし文章は違います。じっくり考える時間が用意されています👍
私にとって文章は、昔から自分を表現できる数少ない手段でした✨
そんな私が中学受験で受かった学校の中で1番偏差値が高い学校が、「理系に強い」ことを売りにしている女子校でした。私は当時、偏差値なんて高ければ高い程良いだろうとしか考えていなかったので、校風など全く合っていませんでしたが気にせずその学校に入学を決意しました😅
勝気な、元気な、勤勉な、そういう生徒が集まる学校でした。勉強が出来る子たちがスクールカーストの上位に君臨する進学校でした。
そこで弱々しく怠け者の私は、なかなか勉強へのモチベーションを上げることが出来ずに
くだらない親父ギャグなどを考えることでスクールカーストの中堅として平和に過ごすことを考えました😂
進路選択の高校2年生。私は音大に行きたかったけれど、国立の東京藝術大学に行ける実力が無いので
「勉強の方で上を目指してみたい‼️」と思い始めていました。
今思えば国公立の音大は芸大以外もあったのですが
当時は地方の大学は視野に無く、また私立の音大は学費が非常に高い為、「芸大が無理なら音大は無理」と本気で思っていました。
しかし勉強のやる気は起きず、成績も振るわず、そのまま高校3年生になりました。
周りは受験モードで目の色を変えて勉強している中、私はディズニーのツムツムというゲームに熱中していました☺️(ストレスでおかしくなっていたのかなあ🤔)(でもツムツム楽しかった🤣)
周りに医学部受験が多かったので、私も医学部受験をしましたが全落ち。卒業式でみんな東大や国公立医学部に合格してお祝いムードの中、受かった人たちに「おめでとう」と笑顔を作って言い
内心暗い気持ちで高校生活を終えたのを覚えています🌸こういうのも青春ですよね☺️
1年間の浪人を経て再び医学部受験に失敗しましたが、有名私大の理工学部に入学。
文系だった私は、いつのまにか「リケジョ」と呼ばれる立場に立っていました。
ちなみに、学科は予備校時代の憧れの数学科講師の影響で数学科に進みました。これも青春。
大学時代はとっても地味に過ごしました。孤独に闘っていました。深夜は課題に追われて精神的に追い込まれました。
それから留年→退学の経緯は以前の記事に書いた通りなので端折ります👍
そして!
リケジョだった文系女子な私は、
今音楽系女子になっています☺️🎵
まだ23年間しか生きていないけど、人生が実際の期間の倍以上に長く感じます。疲れた(笑)
ようやく人生が軌道に乗ってきたのかもしれないし、またもう一波乱あるのかもしれませんが、「もうさすがに人生安定してほしい。」というのが正直な気持ちです(笑)(笑)
今までの人生が回り道ばかりで、
23年間かけて本来なら23歩進めるところをやっと1歩進んだような気分です😂
生きるのが下手(笑)
今まで私立中高大で学んできた勉強は全て、個人的に何の意味も感じられないけれど、
せめてこの悔しい気持ちを芸術家としてのプラスに変えられたらなと思っています😃😃😃(目が笑っていないゾ…)
あとは生まれつきの「文系女子」の特性でブログも続けられたらいいな💕
(なにこのまとまりのない文章)
それではまた明日〜😇