梓のわくわく生存報告

フランス留学中の芸術家が人生を弾き語る!!!

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芸術家のひとりごと①「出過ぎた杭は打たれない」

こんばんは🌝

新しいシリーズを思いついたので始めます(笑)

ドン引きされそうな長い長~いポエムと音楽が融合したブログアートです。

ちなみに私がピアニストではなく芸術家と自称する理由は、アートの形態をピアノだけに縛りたくないからだったりします♪ブログだって芸術です✨

 

ポエムは私が抱える心の闇が含まれることが多々あるので、

そういうの好きじゃないよという方は、大変申し訳ないのですが続きを見ずに戻ってください(´・ω・`)閲覧注意

(このシリーズはポエムが降ってきた時にしか書かないです(笑)

明日以降はまたしばらく今まで通りの記事になるので読んでいただけたら嬉しいです!!)

題して「芸術家のひとりごと」。

その時感じたこと考えたことをひとりごと風に書きます✨

BGMに、その時の気分で私が弾いた曲を添えます♪

記念すべき第1回目の今日は「出過ぎた杭は打たれない」です!!!

BGMに

ドビュッシー作曲 ベルガマスク組曲より「月の光」

を添えて☺️

 

以下は本編です!

 

 

(↑↑↑よかったら再生しながら読んでください♪)

 

昔から人を羨ましがることよりも人から羨ましがられることの方が多い人生だった

私は生まれつき他人に興味がなく、身近な人を羨ましがることは少ないから必然的にそうなる

それではまずいと思い、意識して他人に興味を持とうとし始めたのは小学生くらいからだっただろうか

 

小学校までは「実家がお金持ちそう」と言われることが多かった

中高以降は私よりもお金持ちな人ばかりの学校に行ったので「悩みが少なそうでいいな」とか

今は「自由そうでいいな」とか

 

どれも根拠がなく適当にその場のノリで発された言葉だが、私はこれらの発言で毎回傷ついてきた

羨ましがられることが私は嫌いなのだ

 

なぜ羨ましがられやすいのか考えてみた

 

昔から「優しいね」と褒めてもらえることが多かった

でも私は優しくはない

人から嫌われるのが怖くてイエスマンになっているだけの弱い人間なのだ

だから人からナメられる

ナメられているのに、少し目立ったこと(一人っ子なので幼少期はおもちゃを沢山持っていたり、

今で言うとピアノを弾いたり、留学したり、ブログを書いたり)をするものだから一部の人にとっては目障りなのだろう

それで「なんであんなやつが」と羨ましがられる

 

そんな自分が嫌いだ

 

昔は人一倍泣き虫で、保育園までは泣き虫という点で私の右に出る者はいなかった

小学校に上がり、泣いている人を面白がって笑う文化に直面した

私はその文化に恐怖を感じ、

泣くことは「恥」だと思うようになり、

泣く代わりに困ったときも悲しい時もつらい時も笑うことにした

そこからだろうか

私は「悩みが少なそうでいいね」と頻繁に羨ましがられるようになった

 

羨ましがられないようになる方法として、沢山言うようになったのが「自虐ネタ」だ

いかに自分が不幸か、いかに自分が大変かを言っておけば、

ドン引きされることは多くてもとりあえず羨ましがられにくい

それどころか、言葉は現実化することが多い

「自虐ネタ」 で私が言っていたような、誰も羨ましいと思わないような人間に、

気づいたらなっていた(具体的には留学する前の時期)

羨ましがられるのが嫌いな私だが、そのような人間になるのが本望だったわけでは無い

誰からも羨ましいと思われない人生なんてみじめだ

 

 

出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない

私は羨ましがられることが多いと前述したが、反感を買ったとしたら謝りたい

しかしそれは決して誇れることではなく、

「私はたいしたことがない人間だ」と自分で言ってしまっているようなものだ

ナンパされたことを自慢する人が、

暗に「私はすぐにホイホイ異性について行きそうに見られる人間です」と自分で言ってしまっているのと似ている

 

伝説のプロ野球選手のイチロー、

伝説のお笑い芸人の志村けん、

伝説の政治家のキング牧師、

伝説の物理学者のアインシュタイン、

伝説の指揮者のカラヤン、

これらの偉人を、これを読んでいるあなたは「羨ましい、なんであいつが」と思うだろうか?

正常なメンタルであれば思わないだろう

何故なら彼らは「出過ぎた杭」というやつだからだ

各分野で非常に優れた人物たちだ

これ以上叩いたって、彼らという「杭」がもとの場所に戻ることはないだろう

 

私はというと、本来は誰も羨ましいと思わないような冴えない存在だ

存在感が全くない

地味で暗い

そういう人がほんの一瞬だけ目立つことがある

それが「杭が出た」瞬間である

大工は「おっ一本だけ杭が出てるぞ」と言い、すかさず叩くだろう

それが今までの私の人生だ

蝉の一生と似たものがある

蝉は7年もの間地面で地味に暮らし

ほんの一瞬、ほんのひと夏だけ騒いで散っていく

そのほんの一瞬、それすらも一部の人間からは煩わしがられる

なんと虚しい人生だろう

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人は他者の「羨ましいと思える要素」を器用に見つけてきては羨ましがるものだ

誰にだって長所はある

羨ましがりたい要素を見つけようと思えば、

そんなもの誰にだってある

羨ましがる方が羨ましがられるよりもラクだ

 

ではどのような人間が羨ましがるターゲットに選ばれるだろうか

それは人からナメられやすく、格下に見られやすい人間だ

そういう人間は、1つでも長所があれば「なんであんなやつが」と不満に思われやすい

 

メンタリストDaiGoがYouTubeで言っていたが、羨ましいという感情は「自分が欲しいものを相手が持っている」時に湧くそうだ

一方、「劣等感」は成功者に対して自分が劣っていると感じるもので羨ましい感情とは異なるらしい

 

youtu.be

 

 

 

私は人を羨ましがることが少ないが、

「劣等感」が強い

私の目には遥かに格上の成功者ばかりがうつる

だから羨ましいという感情は意識して考えない限り普段湧かない

 

これを読んでいるあなたは、誰かから羨ましがられた時にどう感じるだろうか

私は羨ましがられた時に「悔しい」と感じる

正直、

「将来の見通しも立たない

明日には手が動かなくなっているかもしれない

就職活動しても仕事が無いかもしれない

私は生きていてこんなに苦しいのに、羨ましいとか簡単に言うなよ」と思う

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その悔しさをバネにして、私は今日も生きている

手が動く限りピアノを弾いている

脳が動く限りブログを書いている

 

それを続けることでしか道は開けないから

 

それでも、スペインに来てからほんの少し自己肯定感が上がった気がする

多分生きている限りこの先も羨ましがられることは避けられないだろう

しかし、その悔しさをバネにして頑張りたい

 

せっかく異文化の地に来たのだから、

これからは自虐ネタではなく自分を積極的にアピールしていけたらいいなと思っている

 

 

日本にいた時よりは

自分を少しは大切に出来ているだろうか

 

23年と少しだけ生きてきて、今そんなことを思っている

 

 

終わりです。ご静聴ありがとうございました。